==== 宗教資源のルーツと歴史 ==== ^年代^出来事^ |538年(または552年)|仏教伝来| |平安時代|五大明王が密教寺院に安置されるようになる| |8世紀頃|名取川河口の水門の鎮護として「ゆりあげ水門五大明王神」を祀る| |:::|(中心に[[不動明王]]を持つ)| |869年7月9日|鼻節神社の摂末社である[[大根神社]]| |:::|貞観地震で地盤が陥没し、海中に沈む| | |[[大根神社]]、石祠の地へ移転| |鎌倉時代(1185~1333)頃|寒風沢・百万遍供養碑造立| |元久年間(1204)|洲ノ崎(神明村)に稲荷御鎮座| |承久3年(1219)|承久の乱により、内海長者が野々島に移住| |弘安10年(1287)|朴島堂ヶ崎に内海長者の[[弘安の碑|弘安十年銘供養碑建立]]| |:::|内海喜右衛門家代々観音として供養される| |応永年間(1394~1427)|湊明神社、閖上字大塚(明神堂)に造立| |応仁年間(1467)|楠氏の遺臣が稲荷神を敬神して寒風沢神明社を建立| |:::|「洲の崎稲荷」「宇南明神」などと称する| |元和年間(1615~1624)|長南和泉守による寒風沢の埋め立て| |1627年以前|桂島神社造立| |寛永年間(1622~1644)|真言宗松洞山寒沢寺建立| |寛永年間(1624~1643)|豊臣氏所縁の者が野々島神明社の社殿を新たに造営| |:::|伊勢両神を奉斎し宇南の神を祀り「神明宮」とする| |承応年間(1652~1655)以前|大己貴命を祀る[[熊野神社]]建立(現在の観音堂の西)| |1655~1656年頃|ゆりあげ水門(みなと)神社を遷座| |:::|名取川水門神社と呼ばれるようになる| |1657年|湊明神社が現在の地(宮城県名取市閖上)に遷座| |時期不明|ゆりあげ水門五大明王神の不動明王を熊野権現堂に移転| |時期不明|湊明神社に[[八大龍神(桂島)|八大龍神]]や[[庚申塔]]を祀る| |寛文10年(1670)|塩釜港、御船入新堀が開削される| |寛文年間(1661~1773)|寒風沢に御城米蔵を建立| |天和年間(1681~1684)|寒風沢[[日和山]]・地蔵造立| |元禄3年(1690)|寒風沢御穀改所定が作られる| |1697年|「ゆりあげ」に「閖上」という文字を当てる| |江戸時代頃|[[縛り地蔵]](廬舎那仏)造立| |元禄14年(1701)8月|石浜・南無観世音石碑造立| |享保7年(1722)8月|寒風沢[[神明社]]を改造| |享保年間頃(1716~1736)|江戸深川にて延命地蔵が造られる| |享保19年(1734)11月|石浜・浄極庵の地蔵造立| |元文3年(1738)|野々島[[新・奥の細道|新奥の細道]]・地蔵造立(事故死者の供養)| |寛保年間(1741~1744)3月17日|石浜・[[庚申塔(石浜)|庚申塔]]造立| |宝暦10年(1760)5月|野々島・[[庚申塔(野々島)|庚申塔]]造立| |安永9年(1780)10月15日|寒風沢[[日和山]]・[[庚申塔(日和山)|庚申塔]]造立| |寛政2年(1790)|寒沢寺に寺子屋がおかれ、坂本玄順が指導| |寛政年間(1789~1801)|寒沢寺・[[巳待供養碑]](弁財天)造立| |享和年間(1801~1804)|寒風沢・[[山神(寒風沢)|山神石碑]]造立| |文化12年(1815)9月|寒風沢・[[秋葉山石碑]]造立| |文政13年(1830)頃|野々島・[[山神(野々島)|山神]]造立| |天保12年(1841)8月|寒風沢・[[十ニ支方位石]]造立| |嘉永7年(1854)8月8日|寒風沢・[[湯殿山石碑(寒風沢)|湯殿山石碑]]造立| |安政3年(1856)|安政八戸沖地震| |安政4年(1857)|桂島・[[湯殿山石碑(桂島)|湯殿山石碑]]造立| |安政4年(1857)秋|寒風沢[[造艦の碑]]造立| |安政6年(1859)|寒風沢・[[馬頭観音|馬頭観音石碑]]造立| |慶應3年(1867)|寒風沢[[日和山]]に[[砲台跡|砲台]]を築く| |1871年頃|本塩釜・金華山間、本塩釜・閖上間の航路完成| |1872年|神仏分離令発令| |:::|湊明神社を湊神社と改める| |:::|湊神社の本尊を観音寺に移転| |:::|五大明王神を天正院に移転| |:::|(天正院:月山([[阿弥陀|阿弥陀仏]]))| |:::|(天正院:羽黒山(観世音菩薩))| |:::|(天正院:[[湯殿山]]([[湯殿山大日如来|大日如来]])蔵王権現)| |:::|熊野権現堂を五柱神社と改める| |1872年以降|熊野権現堂の不動明王を高福寺奥の院に移す| |:::|不動明王、高福寺の火災により焼失| |:::|天正院に復元した不動明王を祀る| |:::|高福寺(宮城県石巻市北村)再建| |1880年(明治13)|湊神社、火災により再建| |1883年(明治16)2月18日|桂島・[[八大龍神(桂島)|八大龍神石碑]]造立| |1885年(明治18)8月|桂島神社・[[湯殿山大日如来|湯殿山大日如来石碑]]造立| |1891年(明治24)|寒風沢(山神近く)・[[馬頭観音]]石碑造立| |1907年(明治40)|湊神社、幣帛供進社に指定| |:::|寒風沢・[[馬頭観音]]石碑造立| |1909年(明治42)|湊神社、竹駒・富主姫神社を併せ祀る| | |(朴島:竹駒講)| |1909年6月14日|鼻節神社に[[山神|山神社]]が合祀される| |1910年(明治43)|桂島神社、八幡神社・春日神社・神明社と合祀| |1953年(昭和28)|寒風沢・神明社の鐘奉納| |1960年(昭和35)5月24日|チリ地震| |1968年(昭和43)|[[桂島神社]]の鐘奉納| |1976年(昭和51)7月|[[チリ地震津波の被災の地の碑]]造立| |1990年(平成2)前後|[[船入島弁財天]]を寒風沢に移す| | |龍神大権現・大根神社を寒風沢に移すとともに、砲台近くに移動| |2011年(平成23)|震災により湊神社社殿流失| |:::|閖上日和山へ遷座(名取市閖上)| {{tag>宗教資源 文化資源 桂島 石浜 野々島 寒風沢 朴島 観音 不動明王 阿弥陀 龍神 竹駒 日和山}}